というタイトルの論説が、今月の日本化学会の機関紙『化学と工業』第 62 巻第 8 号に掲載されていた。
先日の博士課程定員に関する文科省の通知 (これまでの博士量産推進から定員抑制への転換) を受けてのもので、重点化が抱える問題点と今後について述べており、さらにそもそも大学院重点化とは何を目的としていたのかについて論じている。数年後の自分と重ね合わせて読んでみた。
重点化がもたらした問題の最大のものは博士の就職難である。これについては博士の量と質が原因であるとしている。毎年 16,000 人の博士が生まれているのに、それを受け入れるパーマネントのポストが大学、民間ともに不足している。民間に至っては
主要企業の 6 割が博士を「ほとんど・全く」採用しておらず、7 割以上が「そもそも博士を採用する必要がない」と答えている(07 年度「民間企業の研究活動に関する調査報告」)。
という燦々たる状況のようだ。
また、定員を増やす一方で定員割れすると国からの補助金が減らされることから、博士のレベルが低下したとの指摘も。
パーマネントポストにつけない博士の受け皿として広まったポスドクも、結局は「使い捨て」。欧米のようにキャリアアップの一環とはならず、研究室にいいように使われる存在になってしまっている。
一方で、博士自身の「甘え」にも言及している。周りがどうであれ「博士課程への進学を決めたのは自分」であるのは確かだし、自分で博士を選択した以上はその責任は自分が負わなきゃいけないのは当然。
しかし、素直に同意できない部分がある。
「どんな職業なら就職してもいいか」という問いに圧倒的多数を占めたのは「研究者」(74%)。科学記者、知財関連職、教員、企業家など研究者・技術者以外の職業は軒並み 10% を割った。
というのは博士まで進学した人間なら無理はないだろう。博士をとって研究・開発あるいは教育を強く目指すのはそんなにおかしなことなんだろうか。
少なくとも、科学記者や知財を志望するなら博士には来ないと自分は思う。
私が彼らの親なら「えり好みしている場合か」と小言の一つも言いたくなる。
に至っては「余計なお世話だ」と返したい。
つまるところ、数だけ増やしてどう使うかを考えていない、
どんな人材をどう育てるかについてほとんど検討しないまま量だけ増やし、余ったといって減らす
のが「大学院重点化」の本質だったようだ。
かくいう自分も、博士課程に足を突っ込んだばかりで論文も出していない中途半端な状態であるのは間違いなく、さらに研究職を相当強く志望しているわけで。博士取得後の進路は今からしっかり考えておかないとなぁ。